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vol.121

'07. 9. 5. 
こまつ座『円生と志ん生』(第268回例会)

 演者の見せてくれた力量の割には、笑いや軽みの利きが弾けず、井上ひさし作品としては、
そう出来のいいほうだとは思えないものの、常に裏切られることのない薀蓄と志には満ちてい
て、ある種の納得感は与えてもらえる芝居だったように思う。

 言葉というものについては、僕も自分なりに思うところのあるほうだから、今回、井上ひさ
しがそこのところへの思いを込めた作品づくりをしてきていることに対しては、少なからず共
感を覚えた。加えて織り込まれていた宗教や国、権力というものについての眼差しにも、共感
するところが多い。それだけに、もっと面白くて然るべきという気がしてならなかった。

 言葉というものは、本来それだけで独立して客観的に存在するものではなく、どういったT
POで誰が使うかで、生きたり死んだり意味が異なってきたりするものだ。それなのに、同じ
噺でも噺家によって異なってくるのが当たり前に受け取られる落語の世界と違って、日常では、
言葉やフレーズがおかしな独り歩きの仕方をしがちのように思う。齢五十を半年後に迎えるに
至っている僕が、そういう観点から、かねがねとりわけ気になっている言葉が三つある。

 ひとつめは“騙すより騙されるほうが悪い”というフレーズだ。振り込め詐欺のような人の
弱点に付け込み、より弱い者を狙う犯罪が、驚くほど安易に広範囲で横行してしまう背景に、
僕はこの言葉が面白半分に人口に膾炙したことで醸成されてしまったものがある気がしてなら
ない。元々は、自明のこととして、騙されるほうよりも騙すほうが悪いに決まっていることを
前提に、騙される側への注意喚起を強調する修辞としての逆説だったものが前提抜きにフレー
ズとして独立したことで、今や逆説ではなく言葉通りに受け取っている者が本当にいるような
気がする。

 ふたつめは“知らないことは恥じゃない”。これも「これから学び、知ろうとする態度で臨
むなら、今現在知らないことは恥じゃない」というものだったはずなのに、今や、知らないこ
とそれ自体が何ら恥ずべきことではないと思っている人があまりにも多い気がする。むろん何
もかも知りようはないのだが、その職業や社会的立場、経験などから知らないでは済まないこ
とに対して、昔のように恥じ入る人があまりいなくなり、何ら悪びれない人が多くなった背景
に、僕はこのフレーズの流布が作用しているように思っている。

 みっつめは、三波春夫のステージトークが発端となった“お客様は神様だ”。これは、三波
春夫個人が客をどう思っているかとの所感であって、客観的事実を説いたものではない。しか
も客を迎える側の発した言葉であって、客側が立つべき言葉ではない。けれども今や、本来の
意味を離れ、「金を払う者が客で、客の欲求はいかなるものも満たされなければならない」と
本気で思っている人が溢れているように思う。

 共通するのは、そのフレーズを使う者の主客が転倒していることだ。かつては、騙した側や
知らない側、客の側が使う言葉ではなかったものが、率先してそちら側が論拠としての通説引
用のようにして使い始めているように思う。主客が転倒したことで、本末転倒した困ったフレ
ーズに成り下がっている気がする。

 生き物でもある言葉というものは、本当に危うくコワイものだけれども、それだけにとても
大切なものだと思う。そんなことを想起させてくれた芝居だった。


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