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'08. 7.12.
屋根裏舞台 第15回公演『太陽色の水溜り』
(演劇祭 KOCHI 2008 観劇ラリー完走指定作品5)
グラフィティ蛸蔵
屋根裏舞台の創作劇を観るのは、これで三作目だが、本作が最も面白く観ることが出来た。
相変わらずイメージの飛躍は奔放ながらも、今回は連鎖が分かりやすく、空間の使い方に工夫
が凝らされていて視覚的に楽しめたことが大きいような気がした。
汗だくになって走り回るだけでなく、飛び降りたりする縦の動きがかなり取り入れられたり、
何よりも錯覚を誘うような出入りを見せる舞台装置を構え、舞台的にはいかにも使い勝手の悪
そうな袖もない蛸蔵のスペースを巧く克服しているように感じられたことに感心した。幻想感
を醸し出すような音響照明の使い方にしてもよく考えられていたように思う。
飛躍するイメージの連鎖が今回とても分かりやすかったのは、やはり“少年にとっての青い
鳥=母”という物語としての基軸イメージが、普遍的でとても分かりやすいものだったからだ
ろう。夏の日の少年−虫採り−鳥−鳥かご−鍵−探し物−青い鳥、少年−サイコロキャラメル
−賽の目−七つ−童謡七つの子(着ぐるみカラス)−子を想う母、青い鳥−童話−本−図書館
−古典−百人一首−坊主めくり。そして、見えなかったものをめくっていくと、遠い日の母の
家出が記憶の穴から出てき、それこそが探し物だったというわけだ。少年がそのことに気づく
ことによって心のなかで抑圧を解き、母と出会うエンディングに宿っていた素直さというもの
が、僕がこれまでの屋根裏舞台の作品に抱いていたイメージからは、逆に意表を突かれる新鮮
さとして感じられたことも、プラスに作用したような気がする。雨音と泣く少年のイメージの
重ね方も良かった。
僕が屋根裏舞台の作品を初めて観た、一昨年の『シェイクスピア作曲幻聴曲第5番“オセロ”
』の備忘録に「環境問題や核エネルギーの問題を窺わせたりするところに時代性を意識してい
るのかもしれないが、大仰に構えて上滑りするよりも、どうせ記憶を辿るのであれば、飛鳥時
代に求めるのではなく、自身の実感と共にある記憶のなかの言葉で創造したほうが、好ましい」
と綴ったことからすれば、今回の作品は、まさしくそのようなところから創造されていたよう
に思う。そして、前作『あやめまして』で、三人の役者にいくつもの役を当てることによって
イメージの重ねと連鎖を演出しようとしていた部分に対し、今回はメリハリを付けて絞り込ん
でいたことは、分かりやすさの点でも洗練の点でも大きな進歩だと僕の目には映った。
難点として感じたのは、公演前の蔵の掃除が行き届いていなかったからか、動きが大きいこ
とで埃っぽい気の悪さを覚えたことだった。
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