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'08. 7.19.
ハイスクールシアター・春野高校演劇部『駆込み訴え』
(演劇祭 KOCHI 2008 観劇ラリー完走指定作品6)
グラフィティ蛸蔵
昨年末に第32回四国地区高等学校演劇研究大会で観た作品だが、演出を変えてきていた。
昨年末に観たときは、イエスへの愛憎に対する苦悩が色濃かったように思うが、今回は、同じ
愛憎でも狂気・錯乱のニュアンスが色濃いユダ像になっていた気がする。同じ台本・役者であ
りながら、演出の違いで随分と印象が違うことを目の当たりにして、大いに触発されるものが
あった。
狂気・錯乱の色合いを帯びさせるほうが、愛憎の葛藤としては、より深いものを感じさせる
ようには思うものの、そこまでには至っていない苦悩のほうが、観る側にとっては、感情移入
がしやすくなるように思う。僕自身は、先の大会で観た際の備忘録に「まさか高校演劇で一人
芝居を打ってくるとは思っていなかったので、かなり意表を突かれたのだが、イスカリオテの
ユダを演じた2年生の山田憲人くんの堂々たる演技に感心させられた。台詞のテンションにし
ても、泣きや笑いの大きな所作にしても、本当によくやっていたし、表情の変化にも配慮が行
き届いていたように思う。」と綴った前回の演出版のほうがいいと思ったが、そう感じたのは、
山田憲人を初めて観て強く印象づけられた舞台だったからなのかもしれない。今回の舞台でも、
イエスに辱められたと感じて怒りに震えるユダの手が圧巻で、身体は微動だにせぬ強張りを見
せ、手だけが激しく小刻みに震える様が音楽ともシンクロして強く印象づけられた。
しかし、太宰のテクストから取り出すものとして考えるに、愛憎の葛藤におけるユダの苦悩
というのは、最も自然なものだと思われることなのに対し、そこに狂気と錯乱の色合いを色濃
く帯びさせると、どうしても演出というものが前に出てくる感じを受ける。だから、演出とし
ては、後者のほうが意欲的には思うのだが、演出が前に出る分だけ、役者の存在感がストレー
トに伝わってくる度合いが下がってしまったような気がするわけだ。どちらがいいと直ちに言
えることではないのだけれども、前者のほうが、ユダ像としても僕の好みに合っていると感じ
た。
この作品は、先の四国大会で県勢としては18年ぶりの最優秀賞に選ばれ、夏に群馬で開か
れる全国大会に出ることになっているようだが、全国大会では、どちらの演出版で臨むのだろ
う。興味深いところだ。
音響照明については、美術館ホールと蛸蔵で比較するのも酷な話だが、美術館ホールでの芝
居には見劣りしていたことを否めない気がする。特に照明は、先の大会でのものがなかなかよ
かっただけに、少し残念な気がした。音楽に津軽三味線のような音を使っていたのは、おそら
く、情念を演出したいとの意図からだろうと思ったが、僕には奏功してこなかった。とはいえ、
今回も堂々たる作品だったとは思うし、何よりも、同じ台本と役者で演出の違いによる芝居の
変化を目の当たりにしての触発が得られたことが大きな収穫だった。そういう機会には、滅多
なことで恵まれるものではない気がする。
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