Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》1.21


vol.150

10.1.21

クリスマスの会公演『グレイクリスマス』(高知市民劇場第282回例会)
県民文化ホール・オレンジ

 '95年に劇団民藝の公演で観た本作は、四半世紀を超える僕の高知市民劇場会員歴のなかでも屈指の作品だ。だから、年六回しかない例会に過去の上演作の再演を例会作品として取り上げることを好ましく思っていない僕が、珍しくも楽しみにしていた。  三十代半ばで観た作品がどのように映ってくるのか、奈良岡朋子の演じた華子を三田和代がどのように演じているのか。その期待は、いろいろな触発を得ることで、概ね満たされたように思う。

 奈良岡朋子の演じた華子に比べ、今回の三田和代の華子には、夫からは得られない悦びを与えてくれる進駐軍将校ジョージ・イトウ(石田圭祐)への想いが情感豊かに現われ出ていたから、硬派作品という印象が和らげられ、随分と観易くなっていたような気がする。そして、エンディングで華子が暗誦にて読み上げる日本国憲法に綴られた言葉が“愛する男の形見を偲ぶ想い”に包まれているようにして響いてきた。
 それはそれで情感があって大いに惹かれたのだが、十五年前に奈良岡朋子の演じた華子が、凛とした声で読み上げていたエンディングのほうには、ジョージとの出会いによって目覚めた華子の“日本国憲法に対する誇りと敬虔”が強く現われていて、スケール感があったように思う。加えて、日本国憲法に込められたGHQ民生局の“ピープル”出身の人々の“デモクラシーの具現実験”への願いの深さとその理念を芯から学び、理解するに至った華子の新日本人としての姿が強く印象づけられた覚えがあり、また、そこには既にジョージの影は殆ど射してなかったような印象がある。

 どちらを好むかは、それぞれだろうと思うが、僕は、エンディングにまで至る展開においては、今回の舞台のほうを支持し、最後の場面については、前回の舞台を評価したいと思う。やはり第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」の“不断の努力による保持”ということを心の震えを以って聴いた十五年前の記憶は忘れがたい。

 僕の大学卒業学部は、法学部ではなく政治経済学部なのだが、在籍したゼミナールが憲法ゼミだったので、多くの人々より日本国憲法そのものを読んでいるほうだとは思うけれども、それでも全文をきちんと読んだ記憶は、倫社政経を履修科目としていた中学三年のとき以来、一度もないまま今に至っている。先生から授業中の余談として、「どうせ君達は高校になれば選択科目にはしないだろうから、授業は赤点にならない程度にそこそこに聞いてていいんで、一度だけでもいい、日本国民として日本国憲法を全文読み通しておいてほしい。もしできれば、一度きりでいいから若いときに全文写筆するということを経験しておいてもらいたい」と言われて、そんならと読んだことがあるだけだ。どうして素直に先生の言うことをきく気になったかは不明だが、この先生は、それ以前の授業で、「日本国憲法によって日本国民には基本的人権というものが与えられ保障されているが、日本には、今尚その人権を与えられていない気の毒な日本人がいることを君達は知っているか」という刺激的な問い掛けをしたことがあって、誰も答えられないでいると「それは天皇さんだ」と言ったことがあって、それを今も覚えている。確かに国民ではなく象徴なんだから、国民に保障されている人権が与えられてなくても憲法違反にはならないよなと妙に面白い納得への気付きを与えてくれたのだった。

 それでも“不断の努力による保持”という義務規定に対する僕の意識は、そう深いものではないのだが、『グレイクリスマス』のような舞台と出会って、憲法草案に関わった人々の思いや鎬の削り合い、世情変化などを垣間見ると、多少は意識するようになる。護憲運動に参画するところまでは行かないまでも、日本国憲法に込められたデモクラシーの理念で以って物事を眺めているだけの従前からのスタンスではなくて、それを言葉に記したりするようにはなっている。

 この作品が素晴しいのは、日本国憲法を作ったのが誰なのかを問うのではなく、理念の現実化の困難を描き出しつつ現実に立ち向かう意思を問題にしているからだと思う。アメリカ占領軍を崇めも貶めもせずに、デモクラシーを標榜する国においてなお実現できずにあるアジア系アメリカ人への激しい差別の存在を窺わせると同時に、日本における在日朝鮮人への差別やGHQ内で民生局と主導権争いをしていた情報局と旧体制の支配者層の結託なども窺わせつつ、俄か共産党員の増殖といった表層現象にも言及し、当時の日本を取り巻く状況をマクロ的にコンパクトに眺め渡せる視座を保っていた点が見事だ。

 それにしても、激しく多難な時代だったことが改めて偲ばれた。もし、あの時代に自分が身を置いていたら、どのような生き方をなし得たのだろうと思うと、ちょっと恐いような気がした。少なくとも劇中に現われた日本男児達において、自分が身を託したいと思える人物像は皆無だったように思う。


ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室