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'11.11.25.
文学座公演 『殿様と私』(高知市民劇場第293回例会)
会場:音県民文化ホール・オレンジ
言葉では会話の出来ない白河子爵(たかお鷹)と米国婦人アンナ(富沢亜古)が、通じないままに明け方まで酒を酌み交わし話し合っていたのち、踊り始めたラストシーンを見ながら、相互理解に一番必要なものはやはりこういうことなんだろうなと、ダンスの苦手な僕は、だからダメなのかなぁなどと思ったら妙にジンと来た。
文明開化という時代の変化に馴染めず死に場の得られぬままに生きながらえているとの思いに囚われているサムライの雛田源右衛門(加藤武)にしても、欧化に乗る時流を忌々しく感じつつ妻に先立たれたのち酒浸りになっている子爵にしても、はたまた遠い異国の地に鉄道技師の夫について旅してきている米国婦人にしても、共通して抱えているのは、やはり喪失感だったように思う。しかし、若者たちは、その時代の変化とともに息づき、翔いていくし、またそうあるべきなのだろう。子爵の娘雪絵(松山愛佳)の見舞われた危うさやリスクはあるにしても。
そんななかで、時代に沿うことのみをもってよしとするのではなく、時流に逆らう意固地をよしとするでもない作り手の立ち位置が、最後の物言わぬダンスに込められていたような気がした。
そして、僕がケータイを持とうとしないことは、子爵や源右衛門の意固地みたいなものかもしれないなどとふと思った。
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