Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》7.11.


vol.203

'13. 7.11.

劇団東演公演『Hamlet』(高知市民劇場第303回例会)

会場:県民文化ホール・オレンジ

 またぞろ『ハムレット』かとあまり食指が動いていなかったのだが、観てみてびっくり。なかなか観応えのあるステージだった。こういう作品を観ると、演劇というものは物語やセリフで見せるものとは限らないことを改めて知らされたような気になる。
 V.ベリャコーヴィッチ翻案・演出・美術の本作は、身体表現の部分に非常に力があって、役者の所作や身のこなしが何ともかっこいい。とりわけ、小さな歩幅でタップを踏みながら駆け足めいた所作で舞台を縦横に移動する群舞が効いていて、デンマーク王家が抗いようもなく押し流され邁進していく呪われた運命の足音のように響いてきた。
 声の出方が非常にしっかりしていたのも大きな魅力だった。とりわけ先王ハムレットを演じた村上博の存在感の素晴らしさは印象深く、言うなれば、デンマーク王家を無残な死滅へと向かわせたのは先王の亡霊の力だったわけで、そのことに説得力を持たせるだけの表現を果たしているように感じた。
 開幕早々のハムレット(南保大樹)とオフィーリア(古田美奈子)のキスシーンの力強さにも気圧された。人物関係のいずれの動きにも運命的なものを強く感じさせていたように思う。
 僕が観劇に勤しむようになったのは、三十年余り前にシェークスピアシアターによる『十二夜』を観たことを契機としているのだが、それまで福田恒存らの訳による戯曲を読む形でしか接したことのなかったシェークスピアに対して、小田島雄志の訳による耳で聞くセリフの饒舌で重層的で機知に富んだ面白さに仰天したものだ。ちょうどその頃から、シェークスピア劇の公演の主流が、重厚な劇性よりも言葉遊びの面白さを重視するほうへと傾いてきていたような気がするのだが、今回の公演では、そういう部分には少し触れる程度で、身体表現としての造形力に託して運命の力を表現することに力点を置いていたように思う。そういうのはこれまで僕は観たことがなく、斬新なシェークスピア劇を見せてもらったように感じた。
 揺るぎなき石柱として存在していたはずの柱が、運命の奔流を視覚化するように揺れ動き始めたり、航海時には波のうねりになったりすることに唸らされたが、底から光を放つ形で傾けて持ち上げられたのには、大いに感心した。セットを組まないシンプルな舞台装置ということでは、前回例会で観た『音楽劇 わが町』とも共通するのだが、空間造形力において比較にならないくらい優っているように感じた。


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