Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》'17.10.14.〜15.


vol.296

'17.10.14.〜15.

高知演劇ネットワーク演会プレゼンツ“演劇実験空間 蛸蔵ラボvol.4”

会場:蛸蔵

一日目
☆からくり敬三『とも子』
☆トリトゲンソ/舞台屋ナスカ『友情探偵』
☆やまつの『つくりばなし』( from 兵庫)
☆イチニノ『誤差』( from 茨城)
☆シャカ力『オオカミ少年』
大演劇交流会

二日目
☆劇団身体言語『音楽劇 新・カチカチ山』( from 大阪)
☆Conte Unit 10kick's『決戦!キビダンジャー』( from 岡山)
☆サカナノホネ『神様』
☆パッチワークス『0(サイファ)』( from 愛媛)
☆M・I『ミ(つくろい)』

 昨年観た第2回、第3回に続く蛸蔵ラボが、今年も2日間10演目で行われた。回を重ねるごとに増えてきた県外からの参加が、今回は半数を占めることとなっていた。岡村演会代表の話によれば、今回の公募エントリーは10者を超えていたそうで、ランニングタイムの都合上、絞り込まれたものだったようだ。蛸蔵という“場”を得て、進境著しい高知の演劇シーンの象徴のようなイベントに育ってきている気がした。実験空間を掲げるだけにオリジナル作品が目白押しで、既成台本によるものは各日1作品しかなかったように思う。

 初日の演目では、プログラム順位の妙が印象深い。前回の蛸蔵ラボでの「オノマトペプロレス高知大会」において発揮した怪演によりアレーズと双璧をなす強烈なパフォーマンスを披露して“怪優”の名をほしいままにし、高知演劇ネットワーク演会に参加する役者のなかの最高齢者にして若者顔負けの弾けぶりが人気を博するに至っているからくり敬三のステージで笑いを取り、おおむねコメディとする三作品のあと、シリアス色の濃い二作品を配していた。
 狙った笑いとも思えぬ笑いが随所で湧き上がっていた『とも子』に比すると、狙っていることが明白な笑いのネタの趣味が僕とは合わず余り笑えなかった『友情探偵』は、トリトゲンソと舞台屋ナスカの二つのユニットによる二つの演目を以て1公演としていた。トリトゲンソのほうの演目では「しゃぶりつきたいオッ…」の後に続き得る「パイ」以外の言葉が何なのかが気になってステージに気持ちが向かなくなったことも作用しているかもしれない。それにしても「たまげプリン」はないだろうと、近頃の商品名には随分なものが多いとはいえ、すっきりしない気分が残った。
 兵庫県からの参加との「やまつの」は、からくり敬三を人気者に押し上げたオノマトペプロレスで怪気炎を発していたアレーズの津野あゆみが大阪の山本禎顕を連れて兵庫からやってきたユニット名のようだ。昨年のアレーズのときと打って変わった津野あゆみが目を惹いたが、おおむねコメディとしながらも妙に重たくて、既成台本のようではあるけれども、話に難があるような気がした。
 茨城県から参加したイチニノは、上背のある前島宏一郎と小柄な梅木彩羽の二人によるもので、前島によればサンは観客だとのこと。自分たちがするのはサンたる観客が受け止めるための前準備であるイチニノだとの弁に相応しく、観客に委ねられる部分の大きな“観念性”が特長的なステージだったように思う。「貴方とあなた」「彼方と此方」。親子ほどに歳の離れた男女なのか実の父娘なのか、その隔たりは、誤差で済ませることの出来るものなのか出来ないものなのか。生存の証である“体温”を確かめることの人間にとっての必要性と意味の前にあっては、総てを『誤差』としてもいいのではないかと思わせる部分を備えていた点で、ギャスパー・ノエ監督の映画『カノン』を想起させるところがあったように思う。梅木彩羽の強味のある声がなかなか魅力的で、時おり二人の声がユニゾンで被せられる台詞が効果的だった。地元劇団には笑いの造形に秀でていたり身体性の魅力を遺憾なく発揮する劇団はあるけれども、こういう動きの少ない観念性に特長的な作品にはあまり出会わなかった気がするので、とても新鮮だった。
 初日最後に披露された『オオカミ少年』はシャカ力主宰の行正によれば、四国劇王の連覇を達成した作品とのこと。この演目での公演は観た覚えがないような気がするけれども、加藤春菜の発する「ピクルス、ピクルス」という軽妙なリズムの声とともにある三人によるハンバーガー作業工程には見覚えがあり、今年の演劇祭kochiで観た行正初長編との『シャカロック』はここから生まれ出た作品だったのかと得心した。『シャカロック』の自閉よりも痛々しい児童虐待が鮮烈に捉えられていて些か堪えたが、抜群の観応えだったように思う。

 二日目の演目には、ずらりとブラックな影の射す作品が並んでいたように思う。謂わずと知れた太宰治による既成台本を『新・カチカチ山』として半分の長さに圧縮しつつも、パーカッションと言葉の力を遺憾なく発揮していたように思う劇団身体言語from大阪のステージには、なかなか迫力があった。芝居を演じるにあたって大事にしているものを直裁に並べた劇団名に遜色のない演技だったように思う。
 岡山からのコントユニット テンキックスによる桃太郎ネタを活かした『決戦!キビダンジャー』では、「透けて見える」との指摘によって交換するネガ・コミュニケーションの映し出しているものに、なかなかのアクチュアリティがあって、今どきの若者をやるのは何だかめんどくさそうだなと「もう知ったこっちゃない」の還暦の歳にある我が身の幸いを思った。
 第1回の蛸蔵ラボ以来の参加となるとのサカナノホネの『神様』は、キス&セックスが介在していようがいまいが、己が“愛している”と思っている男に関して、浮気相手と思い込んだ相手の女宅に乗り込んで「泥棒猫」呼ばわり(ギャグかと思った)するサユリ(渡辺枝里)にしても、血族でない兄妹で性交ではなくて暴行で繋がっている男を神様呼ばわりして執着するリン(梅子)にしても、およそ計り知れない世界で今一つピンと来なかったが、梅子が終始見せていた“身体の震え”が見事で、かなり怖く、渡辺枝里のストッキングから透けて見える毒々しいまでの真っ赤なペディキュアが鮮やかだった。それらに比べると、けっきょく置いてけぼりを食らう男というものの底の浅さは、間抜けという他ないと改めて思った。
 続く愛媛からのパッチワークスによる『0(サイファ)』は、ブラックということでは今回の10演目のなかでも随一だったように思う。政府アナウンスに対する不信の表現にしても、現代社会の酷薄さにしても、挑発的なまでに厭味たっぷりに現出していた気がする。だが、アクチュアリティに富んでいればこそ、犬猫の殺処分を仕事とする職場に納期だとかノルマだとかはちぐはぐでリアリティを損なっていることが瑕になるような気がした。そのために、“大人”というもののネガティヴを衝く部分が頭でっかちという意味での観念性に留まり、最後に発せられる「今日はどっち?」と媚びる母娘の生存地獄の強烈さも、作り手においてどれだけ血肉化されたうえで出て来ているものなのか、空疎に感じさせることになっていた気がする。それにしても、昨今、実によく見かけるようになった「はぁ?」を威圧語として使う用法というのは、いつ頃からこれほど拡がってきたのだろう。実に厭な響きだ。
 最後に現れた大木裕之率いるM・Iによる『ミ(つくろい)』には、照明が落ちることでの闇はあっても作品的にブラックなものは何もなかったような気がする。前夜の大演劇交流会で“みつくろってきた”配役に、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』を見繕ってデュパンを演じさせる場を提示することで、作品として“つくろえて”いたものは格別何もないような気がした。提示されたスタイルそのものは、今回の10演目のなかでも、蛸蔵ラボが標榜する“演劇実験空間”に最も適うもののように見えるのかもしれない。しかし、映像でもパフォーマンスでも、大木裕之のやっていることが余りにも即興性とハプニング性に寄り掛かった思い付きの羅列にしか映らなくなってきて以来、少々距離を置くようになってしまった僕には、実験性どころかルーティーン感のほうが強くて、なんだかなぁとの思いが先に立つ。「あれ? あれ?」との思わせぶりな繰り言ちで場を運ぶ姿に、『優勝―Renaissance―』['96]を撮った頃の訴求力を取り戻してほしい想いが強く湧いてしまった。ただキャスティング力というか、何か持っている人を選抜する力には磨きが掛かっていて、大演劇交流会という恰好の場ではあったにしても、即興性のなかに窺えるディレクションを感知して表出できる存在感のある配役を果たしていたことに感心した。

第2回ラボ:http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/16/3-26.html
第3回ラボ:http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/16/1001-2.html



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