Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》DumbType-OR

vol.18

高知県立美術館舞台公演シリーズ

'99.5.15.
ダムタイプ パフォーマンス[OR] 

      
     
 ちょうど二年前のS/Nプロジェクト『ベッドタイム ストーリーズ』では、美術館ホールでのビデオ上映とトークセミナーに加えて、講義室でのワークショップと、日本と海外のエイズポスターの展示[2F回廊壁面]をおこなっただけで、肝心のステージ公演がなかったので、今回の舞台公演には期待をしていた。
予告ビデオなどから、身体性を破壊や障害との接点で捉え直そうとするコラボレイト・パフォーマンスで、ロマン・スロコンブのようなイメージが、圧倒的な音とストロボのなかで眩暈を起こさせるような感覚とともに観る側を撹乱してくるような舞台公演になるのだろうという予想をしていた。僕自身は、[S/N]をビデオで観ただけで生のステージは初めてだったが、予想の前段部分はかなり外れたものの、後段部分は予想どおりに緊張感のあるタイトなパフォーマンスが、相当なインパクトをもって展開され、観応えがあった。

 しかし、ビデオで観た[S/N]と比較すると、エモーションが随分と後退し、観念性が強くなって、アクティヴィズムやメッセージが影を潜めた分、インパクトが落ちた気がしないでもない。身体性や生と死、ボーダーといったモチーフに対する強い関心は、継承されているけれども、表現手法とスタイル自体の持つインパクトほどには持続していないように思う。

 生命のエネルギーをある種の疾走感で表現しているような印象を残したのは、明滅するストロボのなかでステージ上を走る動きが多かったことと異国の地でドライブしているときの車中からの光景が延々と映像で映し出され、次第に加速していった部分の残した印象が強いからかもしれないが、あまり新味はない。バックスクリーンもステージの床も真っ白いだけのシンプルな空間のなかで、照明による色づけや映し出される映像によって空間がさまざまに姿を変えるのは、硬質な透明感を演出するうえで効果的であったが、浮かび上がらせるイメージが病院であったり、紙であったり、天上界であったりすると、そこにもあまり新味はない。そのようにして振り返ってみると、表現手法とスタイル自体の持つインパクトに比べて、提出されるイメージ自体には新しい発見や感動を呼び起こすようなものが、ほとんどなかったように思う。B&D(ボンデージ&ディシプリン)アイテムや全頭マスクなども単に引用に留まり、そこから喚起するイメージが弱いと、少々眼は引くにしろ、却って安直さを印象づけてしまう。ただ、車中からのドライブ光景の映像を映し出しているときに、バックスクリーンのセンターに女性が立つことで、ちょうどロールスロイスかなんかのエンブレムを連想させて、ステージ床とバックスクリーンの境界の曲線が車中から見えるボンネットのラインを意識させたのは、ちょっと面白かった。

 それにしても[OR]というタイトルから文字で示されるのが、“orientation” となるとは思わなかった。もちろん限定的な意味を持たせているのではなかろうが、“or”そのものや“origin”“order” などは連想の範疇にあっただけに、“orientation” となると、その意図は? と尋ねてみたい気もする。


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