Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Meredith Monk97

vol.8
'97. 10.25.  
「Meredith Monk IN CONCERT with Nurit Tilles」         
会場:高知県立美術館ホール

 何とも不思議な時間と空間が醸成されていた。敢えて歌と言わずに、ヴォイス・パフォーマンスと言うから、おそらくは素朴でプリミティヴな、自然回帰的な何かを触発するようなパフォーマンスが繰り広げられるのではないかと思っていた。人間の表現という点で声というものは、最もプリミティヴな表現手段だからだ。ところが実際のステージの印象は、素朴とかプリミティヴとはむしろ反対の洗練された感性のほうが印象づけられるものだったので、少々驚いた。

 ヴォイス・パフォーミングの特性という点では、第一部の“無伴奏の声の為の音楽”のほうが、さまざまな声の技法や唱法が際立つ形で披露されるので興味深かった。通常よりも暗く落とした照明のなかで、仄かにステージ上のメレディスが浮かびあがる。柔らかく温かい声の響きや澄んだ透明感のある響き。奇声すらも奇声とならずに鳥や動物、木々の揺らぎや風のざわめきといったものを想起させるほどに洗練されている。もちろん、人間の声として世界各地の民俗歌謡の発声を偲ばせたりもする。しかし、達者な技術と神秘的な雰囲気には感心しながらも、今一つ魅了はされなかったのは、なぜだろう。やはり、表現としては、ヴォイス一本でとなると、如何にその声自体に幅や豊かさがあろうとも、いささか単調で弱くなるからではなかろうか。たくさんの音が同時に出せるピアノは例外にして、器楽のコンサートでも無伴奏の楽曲ばかりで押し切られると、少々辛いという気がするのに似たものがあるように思う。同じア・カペラでも、このヴォイス・パフォーマンスが何人かの声でおこなわれていたら、随分違ったものになると思われるのだが、彼女と共有できるだけの技術と思想を持ち合わせた共演者がいないのかもしれない。
 その点では、第二部の“声とピアノの音楽”が、表現として遥かに豊かなものとなっていたが、ピアノがはいって聴きやすくなった分、響きに調和もとれ、善くも悪くも、第一部ほどにヴォイス・パフォーマンスの特性が際立つことがなくなった。無伴奏のときに感じたような、コスミックな広がりや根源的な神秘性といったものが、表現としても豊かな音楽のなかで聞こえてきたら、もっとずっと感銘深いステージになっただろうにと少々残念でもあった。

 こういうのもありかなと思いながら、今一つ堪能できなかったのは、ヴォイス・パフォーマンスというステージ自体にあまり馴染んでないからかもしれないが、CDでこの世界が支持されるとは到底信じがたいという気がするのに、けっこうCDが出ているのに驚いた。


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無断転載禁止 掲載:アーク編集室