Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Mizube_no_jyokei

vol.12
'98. 1.18.    
「水辺の情景」初演 作曲家 武中淳彦コンサート    
会場:高知県立美術館ホール

 高知出身の若手作曲家の新作発表コンサートとしては、三年ほど前に同じく高知県立美術館ホールでおこなわれた、作曲家島田広氏の新作初演を含む「安田弦楽四重奏団によるベートーヴェンと三つの新作の夕べ−モノローグからシンローグヘ」が記憶に新しく、また強烈で鮮やかな印象を残しているが、“美術館プロデュース、環境音楽”と銘打った今回の公演は、音楽的にもステージとしても、それには遥かに及ばない出来のものでしかなかったように思う。

 殊に細切れ的な小品が、悪く言えば発表会の乗りで並んだ第一部の構成には、“地域に根ざした”というのは、こういうことを言うんではないがなぁという思いが拭えなかったのが率直なところだ。<初演>などと大仰にチラシに印刷されているのが、却って気恥ずかしくなってしまう。子供たちが少し着飾ったり、学校の制服のままで演奏すること自体が悪いのではないが、さまざまな顔のアマチュア演奏家が顔見せ的に代わる代わる登場する構成にしたことによって、確実に発表会の乗りになってしまった。それはステージだけに留まらず、ロビーや客席にまで至り、あの見慣れた花束の山をロビーで見せつけたり、目当ての子供の演奏が終わってしまうと席をたっていく観客の姿を見せたりすることによって、“美術館プロデュース、環境音楽”と銘打った、チラシなどに窺える企画コンセプトの本質を変容させてしまうことになった。こんな根本に係わるところでズレが出てしまうあたりには、プロデュース側の力不足と安易さが如実に露呈している。

 それでも第二部になって、幾分落ち着いたものになったのは、弦楽四重奏曲第二番「飛鳥」がこの日演奏された楽曲の中では出色の作品だったからだろう。しかし、武中氏が第1ヴァイオリンを取ることが適していたとは思えず、他に客演者がいれば、楽曲の良さがもっと味わえたような気がする。鳴り物入りの「水辺の情景」は、正直なところ、まぁこんなもの作ってみましたって感じで、それは無論それでもいいんだけれども、そうなるとやはりチラシに謳い上げた大仰な力みが違和感をもたらすし、初演コンサートなんて構え方をしないほうが良かったのではないかという気がする。楽曲自体に、短期間に小手先で間に合わせた軽さばかりが残り、推敲や熟成あるいは才気といった精神性を感じさせるものが不足していたように思った。

 しかしながら、企画コンセプトの本質を変容させたお陰で、チラシなどから予想された聴衆の少なさは見事に克服され、十分以上の聴衆動員を果たしていた。しかし、美術館プロデュース事業としてそれが良いことなのかどうかについては、大きな疑問を残したように思う。少なくとも、高知県立美術館ブランドを信じてチラシを真に受けて脚を運んだ聴衆を裏切ったことだけは想像に難くない。
だが、それゆえに美術館プロデュース事業の在り方として問題提起が明確な形でなされたという点で、美術館にとっては研究事例として貴重なものになったのではなかろうか。聞くところによれば、通常の美術館の公演からすれば、著しくアンケートの回収率が低かったとのこと。無言のうちに、それが今回の公演に対する率直な評価であったという気がする。                 


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