Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Ongakuza95
vol.1
高知市民劇場例会作品95年
'95. 9.19.
音楽座『シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ』(第196回例会)
観に行くまで気づいてなかったが、観始めて間もなく3〜4年前にTVで観たことを思い出し、その時けっこう強い感銘を受けた記憶が甦ってきた。オープニングのシンボリックなステージ演出や遊園地の迷路(第一幕のほう)の移動展開の巧みさ、ラストの全く台詞を使わない場のもたらす味わいなどが印象に残っている。TVで観たときもそうだったが、ダンスシーンで魅せられると、日本のミ
ュージカルでは特にインパクトがある。昔の日本のミュージカルの何が悲しかったって、踊りがカッコよく決まっていないところだったから余計にそう思うのだろう。欲を言えば、それに比して歌が、声量・質ともに少し弱い。群唱のときは力強くても、ソロになるとやはり線が細い。
だが、芝居がとてもよく、ファミリー例会を利用して連れていった長男が、「お金を払ってでも一階で観たかった」とこぼしていた。芝居として成功するためには、悠介にとっての佳代の存在が十分な説得力をもって演じられてなければ何ともならなくなるわけだが、喜びと生命感をいかんなく発揮していた矢口容子に惹かれた。彼女の表情は、とても魅力的だ。
物語的にみても、時間的にも空間的にもスケールが大きく、単なる恋物語に終わっていない。愛を問い、生を問い掛ける中身の充実が素敵だ。地球時間で20年、彼ら二人には10年という歳月を経た再々会の場面がなく、それよりも遥かに長い時間の中で二人を語っているのが気がきいている。その一方で、佳代が悠介に処女でないことを詫びる台詞には、もう少し工夫できないものかと少々違和感を覚えた。
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