Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Piano99

vol.21
'99.10. 7.    
エリック・ハイドシェック ベートーヴェンピアノソナタ演奏会
会場:高知県立美術館ホール

 五年前に県民文化ホールで聴いたときは、ショパンもリストもあって、ベートーヴェンは“告別”だけだったが、この日は四曲ともベートーヴェンのソナタ。
でも、そんなことより、反響板を組んだステージ上のアリーナ席で聴くという初めての体験のもたらしてくれたものが強烈であった。

 一流のプロ演奏家の奏でる音を、自分の耳の位置がピアノの弦よりも高い位置にある場所で聴くのは初めてのことだ。3〜4m先にピアノの弦が直に見えるということは、すなわち弦の鳴る音が直接耳に入ってもくるということだ。しかも反響板を組んだステージで、ピアノの左後方の舞台奥寄りの椅子に腰掛けているのだから、まさしくピアノの生な音に包み込まれているかのようなのだ。それはコンサート会場の客席で、ふだん聴く響きとは全く異なっていた。敢えて表現するならば、いつもはピアノの音というよりも、ピアノの音の響きを楽しんでいたのだ。そこには、聴覚体験として明瞭な違いがあることに気づいた。

 楽しみ慣れた響きのほうを耳が追っていた最初のうちは、妙に落ち着きが悪かった。なにせピアノと反響板の間に座っているのだから、ふだんなら自分に向かって波となって寄せてきてくれる響きが自分の位置からは逆に客席に向かって逃げていく感じなのだ。そして、やたらと生な音が耳に残る。しかし、響きを追うのを止めてみると、その生な音が反響板によって自分を包み込んでくれるように鳴り渡っている体験がいかに新鮮さに溢れたものかを実感できるようになっていった。今まで味わったことのないようなピアノ体験に耳がやたらと敏感になっていき、一曲目の「悲愴」のとりわけ耳に馴染みのある第二楽章が始まったときには、両頬の下の顎寄りの部分にビリビリと電気が走ったように感じた。
 とにかくピアニシモが、しっかりと確かにピアニシモであるにもかかわらず、やたらと大きな音で聞こえるのだ。そして、ひとつひとつの音がやたらと明瞭なのだ。そんな状態になって聞こえているものだから、一音だけひときわ強くハイドシェックの指先が鍵盤を打つときには、僕のほうは、座禅棒で打たれるように反射的に背筋が伸びてしまったりするのだ。ピアノソナタ第8番ハ短調作品13に続いて、第16番ト長調作品31-1を演奏して第一部は終わったのだが、休憩時間には掌に汗が溜っているのがはっきり見えて、こんなに興奮していたのかと何だか嬉しくなってしまった。

 演奏も曲もピアノも良かったのだろうが、他との比較のしようがないというのが率直な感想であった。これまでに聴いたことのないピアノの音のもたらしてくれたものが、ハイドシェックゆえの部分以上にステージ上のアリーナ席だったことによるような気がする。でも、その一方で、五年前に聴いたときの印象としてある、固く締めて余り響かない調律をさせていた(微かな記憶だから当てにはならないけれど)のと、今宵も同じことをしていたのかもしれないとも思う。CDプレイヤーも持っていない僕に知識としての彼の演奏スタイルというのは何もないのだし、ふだんと同じような本来の客席では聴かなかったから、よくは分からないことなのだが、もしそうだったとしたら、今夜の体験はハイドシェックの演奏であったからこそ、より効果的に味わえたと言えるのかもしれない。

 後半は、第24番嬰ヘ長調作品78と第32番ハ短調作品111 という、今宵のプログラムであった。      


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