Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Salome95
vol.2
高知県立美術館舞台公演シリーズ
'95.11.4.
高知県文化財団自主企画「サロメ」(ク・ナウカ公演)を観て
高知県文化財団の自主企画舞台公演「サロメ」が十一月四日(土)に県立美術館ホールで行われた。昨年の維新派によるジャンジャンオペラ「少年街」に続くもので、同財団が管理運営する美術館ホールを活用して取り組んでいるものだ。
今回の公演企画に選ばれた「ク・ナウカ」の演劇は、1,台詞をすべて音楽にのせて語る。2,ひとつの役を「語る俳優」(スピーカー)と「動く俳優」(ムーバー)の二人一役によって演ずる、という特異な手法が採られていると、あらかじめチラシなどによって知らされていた。それだけに斬新な演劇空間が造形されるかもしれないという期待と手法の奇抜さだけに終わっているのではないかという危惧とを同時にいだきながら、席に着いた。
観てみると、期待を充分に満たしてくれるだろうかというような受け身の姿勢は投げ出さないではいられないステージであった。現代演劇に対する問題意識とそれに対する表現としての模索の在り様に触発され、思わず、いろいろ注文をつけたくなってくる。それは不満から生じてくる注文とは明らかに違って、提示されてくるものに対して問題意識が触発され、反応してしまうといった形だった。
西洋の古典を現代的に視覚化しながら、日本的な伝統芸能を想わせたりするところは、共同演出作品もあるという劇団SCOTの鈴木忠志を思い起こさせたりもするが、抽象度の高さや様式美には到底いたらない、ごった煮の混沌の持つ未完成の可能性は、この若い演劇集団ならではのものだろう。PAによる西洋弦楽あり、ロックあり、アフリカンパーカッションの生演奏ありといった音楽は、生
演奏だけのほうが良かっただろうし、身体感覚に対する問題意識を提示したかったというブラウン管やビデオプロジェクターや写真機などへのこだわりも充分に活用されてはいなかった。けれども、「なま」が命の演劇で、反演劇的という点では、ムーバーとスピーカーの二人一役なんかよりも遥かに反演劇的なそれらに対するこだわりは、単なる思い付きという形で見過ごされることなく提示されていたし、サロメの踊りをリアルタイムで踊りの動きに合わせて映写するのは、解像度の技術的課題を残しつつもかなり面白いアイデアだったと思う。ごった煮のそれぞれに着目すれば、それぞれ遥かに優れた表現に至っているものが他にあり、それらには比べるべくもないのだが、それらを総て演劇という枠組みの中に取り込んできて、現代演劇の可能性を模索しようとしているところがいい。
今回の文化財団自主企画公演に際して改めて思うのは、完成度の高い優れた芸術作品に出会える機会もさることながら、創造の新たなる模索の過程や試みを同時代的に目撃する機会の貴重さだった。中央と地方の文化の格差の最たるものは、芸術文化においては、まさしくここにある。特に若い世代にとっては、既に完成された優秀舞台よりも、このように混沌としていながらも今を感じさせる面白い刺激と出会える機会が求められているのだと思う。今回の公演も概して若者たちのほうが強く支持していたようだ。
例えば、先の文化財団の自主企画で取り上げられた大野一雄の舞台公演「睡蓮」にしても、彼の創造への模索の過程を同時代的に目撃しているか、いないかでは、観る者にとっての意味が随分と違っていたはずだ。エネルギーの衰えは知らずとも、肉体の衰えはいかんともしがたい齢八十八歳にして、これが、かの大野一雄の舞踏ですか、といった形で初めて観るということにならなくて済む「文
化の県づくり」に向けて、今、高知県文化財団の自主企画公演の果たしている役割は、非常に大きく、また意義深い。
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