Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Uri_Omoni
vol.26
'00. 6. 8.
劇団態変 金満里ソロ公演 ウリオモニ
会場:高知県立美術館ホール
予てから気になっていた劇団態変のステージだったが、本公演ではないながらも主宰者金満里の表現に初めて接して、実に新鮮な刺激を受けた。一番強く感じたのが、表現者というのは何よりも先ず自らの個性を開花させ、それを独特のものとして形にして見せることのできる者だということだ。歌手の声であれ、役者の容姿であれ、画家の描線色使いや詩人の言葉に対するセンスなどと同じく、自らの個性をどれだけフルに活用し、開花させることができるかが勝負だ。もちろんそこには、技術の問題がある。そして、思想の問題もある。それらが一定の水準を超えたとき、その発するものが表現たり得て、それを為し得る者を表現者だと認識させられるのだ。
そういう点では、金満里は自らの身体的個性をフルに活用していて見事だ。その開花のさせ方が常識を打破しているところに衝撃があり、思想がある。それはまさしく、重度障害という身体的個性をこのようにして開花させることが可能だったのかという衝撃だ。そして、障害者の身体そのものに他では真似のできない豊かな表現力があるという誇り高い思想だ。
背景の暗幕をくぐるようにして這って出てきた“暗闇の胎児”での「身悶えしつつ一寸先見えぬ暗闇を進む胎児」のイメージは、力と緊張に満ちたものではありながらも、あまりにも意外性を欠いていたが、投げ入れられたオモチャとともに無邪気に遊ぶ表現の奔放さと軽やかな明るさには驚かされた。外側に反ってしまう手首の形を上手く生かし、頬杖のようにして載せた顔の表情の屈託のなさはとても素敵だったし、退化して柔らかくなった足をまるで尻尾のように操って、自分の身体で遊んでみせたのは実に鮮烈だった。何かの遊びの動作をなぞるのではなく、自らの身体だけを使ってかくも明瞭に遊び自体のイメージを表現し、遊びの楽しさを表現し得た身体表現は初めて観たという気がする。重度障害の身体を使って身体表現をするのだから、緊迫感とか凄みといったものは予想していたけれど、これには驚いた。
しかし、最も驚いたのは、24時間介護の支えがなければ自立生活を営めない最重度の身体障害でありながら、ステージの上で独力で身体を起こし、座位の姿勢を取り始めたときだった。肱を突いて起こした身体での位置以上には床から離れることはないと思っていた顔の位置が次第に高くなっていく動きのなかには、漲る生命力と強い意志が宿っていて、強い感銘を受けた。筋力といい、バランスの取り方といい、相当な訓練を要する技術なのだろうと思う。また、得てして身体の形状そのものに目を奪われがちな表現に対して、全体の動きをみせるという観点からか、白い布をすっぽり被せた場面があったが、動きそのものの独自性が際立って、効果的だった。
それにしても、ここに到るまでの道のりを思うと、実に敬服の念を禁じ得ない。その勁さと気概には圧倒される。それらが舞台満面に漂っているようなステージだった。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
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