Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》Vuenavista
vol.27
高知県立美術館民族音楽シリーズ
県立美術館の民族音楽シリーズは、いつも楽しみにしている好企画だが、今回の企画は、従来から自分が楽しんでいたシリーズのイメージから、少々ずれていたように感じた。生のコンサート体験を通じて民族音楽の“味わい”に気づかせてくれるところが最大の魅力だったのだが、今回のコンサートは音楽の味わいを楽しむ以上に場と時間の共有を楽しむ空気が突出していて、結果的に味わいに乏しくなってしまった。乗りに乗って踊り出す人たちがいたことが原因ではない。それなら、第一弾の“アフリカン マエストロ”にも、そういう人たちがいて音楽の味わいをより深めてくれた記憶がある。
大きな違いは、演奏を通じて自然に乗ってきて醸し出された乗りのムードとは異なる乗りに会場が包まれていたように感じられる点だ。言わば、乗って踊り出すことを始めから待ち構えて準備している聴衆が多いことを意識して、音楽として表現する以上に、聴衆を乗せることで応えようと演奏者たちがしていたように感じた。そういう意味では、歌謡ショーやロック・コンサートの乗りに近く、音楽を味わうというよりもライブを楽しむコンサートになっていた。聴衆の声援に、本来なら途切れるはずのない音を途切らせて応え、喝采を受ける場面が多々あったし、会場の乗りをより盛り上げようとする率直なステージ・アクションも頻繁に観られた。おかげで会場は大いに盛り上がり、おそらくは予定時間を随分オーバーしたと思われる展開を見せた。勿論それが悪いのではない。むしろ、それこそ多くの聴衆の求めていたものだったろうから、コンサートとしては大成功である。ただ自分の求めていた楽しみと合致しないコンサートであったと言うにすぎない。“アフリカン マエストロ”で感じた会場の乗りは、こういうものではなかった。この大きな違いをもたらした最大の理由は、“ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”が「キューバ音楽の巨人たち」であること以上に、チケットが発売開始後わずか一時間で完売してしまう人気バンドであったからだろう。
キューバ音楽自体は実に魅力的で、とりわけ、近年学問的にも大いに関心を集めている“クレオール”的な魅力に満ち溢れていた。言語以上に音楽がクレオール的であるのは自然なことだとは言え、その見事なまでのクレオールぶりと南国の薫り豊かな味わいには独特のものがあった。ブラジルの映画ではあったが、十四年前に『アントニオ・ダス・モルテス』を観て、「…ある意味でごった煮の面白さである。ブラジルの民族的伝説をベースにして、ヨーロッパ映画的抽象性に西部劇の野趣とマカロニの生臭さを盛り込んで、第三世界らしい社会闘争的主題が、南米のリズムと伝誦という時間の蓄積を感じさせる歌と共に語られる…」と綴ったことを思わず想起した。そうであればこそ、今回のようなライブを楽しむことに突出した形態ではないコンサートで、キューバ音楽自体を味わってみたいものだと思う。そして、そういった“味わい”を堪能させてくれてこそ、美術館の民族音楽シリーズだと期待している。
「ヤマさんのライブ備忘録」の扉へ
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