Arts Calendar/column
2005年10月
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【コラム】 平和という名 ギュスタヴ・モローの展覧会でサロメを見た。モローの有名なテーマで、西洋美術館にも小作品がある。『出現』は宙に浮くヨハネの首が印象的だ。ワイルドの戯曲で有名になった伝説の女性は、いつしかサロメと名づけられた。母の入れ知恵で洗礼者ヨハネの首を求めたサロメだが、この名前はギリシャ語エイレネの訳語でヘブライ語シャローム、平和を意味する。シャロームは挨拶に使われ、エルサレムもイール・シャローム、平和の町だ。 アラビア語の挨拶、アッサラーム・アレイクムのサラームは平和。アラビア語は母音がなくSLMの子音に還元され、サラーム、シャローム、サロメ、いずれも元は同じだろう。 この秋上演されたカナダの劇作家アン・チスレットの『地にありて静かに』は、第二次大戦中のヤーミッシュの村の話だ。絶対平和を誓いとしたキリスト教の一派で、機械を使わない農業や黒服などで世間から隔絶した暮らしをしている。カナダで非国民扱いされつつ不戦を貫いたが、反抗して戦争に行った若者は、人を殺し初めて「国のために戦う」愚かしさを悟る。いまや米国の進軍で十字軍以上の「戦う宗教」となったキリスト教も、聖戦を掲げるイスラム教も、ヤーミッシュやサラームが示すように、本来は平和を求める宗教だ。ただ自分たちの平和のために他者を侵す、殺すことを認めてしまった。米国ではさらにネオコンの経済侵略思想がキリスト教原理主義を利用している。日本はそれに乗って「他国が攻めてくる」と脅し軍需景気を求めたり、鎮魂にかこつけて他国を牽制すべきではない。憲法改正を叫ぶ人たちは、戦場で戦ったことのない人ばかりなのだ。 劇中の神父の「もし占領されたら、それにまかせる」という言葉は大切だ。イラク、パレスチナも占領されようと人々は生き続ける。平和のために他国と戦うことの矛盾は、首を求めるサロメの名、そしてそれぞれの「平和」が同源であることが示しているように思う。
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【コラム】 車内観察 最近、通勤にJR、私鉄、地下鉄を使うようになりました。線によって、人気の立ち位置って違うんだなぁと気付きました。JRでは、座席がいっぱいの場合、まず連結に近い吊り革のところとドアのすぐ横に人が立ちます。どちらも混んできても、あまり動かずにいられるポケットのような空間であることと、寄り掛かれたり、荷物を置きやすい場所だからだと思います。その後は、座席前の吊り革に。私鉄もそんな感じですが、連結近くの吊り革は、JRの車両に比べると楽な場所ではないので、すべての吊り革に平均して人が散っていきます。地下鉄は、JRに乗り入れていて、同じ車体の時はJRと同じですが、それ以外の車体ではドアの側はあまり人気がないようです。 電車の中で本を読むと酔ってしまうのと、JR、私鉄、地下鉄と頻繁に乗り換えなければならないので、車内を観察しています。空いた車内なら週刊誌の中吊り広告もあちこち眺めたりできますが、混んでいる時は一方向を見ているしかなく、英会話学校の広告を丸暗記してしまうこともあります。 適度に混んでいるときは、寝たふりしつつ、聞くともなしに人の会話を聞いたりしていますが、声の主をジロジロ見るわけにもいきません。声や話し方で、年齢を想像し、服装を想像し、なんてしてみると、けっこう当たるものです。声は大人っぽい、話の内容が重箱の隅を突くようにマニアックならば大学生くらいのアキバ系。女の子の声だけど乱暴な言葉使いなら、ノーメークで古着風スカートとデニムを重ねたような服。落ち着いた大人の女の人の声、展覧会の話、映画の話と話題は豊富、前衛的なショートカットに黒い前衛的なデザインの服を着てるだろう。でも相槌うってるだけの相手の人は、ごく普通のお母さんっぽい感じの人だろう。 そんなことでも当たると一日が楽しかったりします。服装で人柄を判断してはいけないと思いつつ、でもなんてゆーか、現れるもんだなぁと思います。ただ、油断がならないのが、雑誌そのもののようなキャリアっぽい服の女性。この手の人達、みんな綺麗なのに何で車内でのお行儀が悪いんでしょう?混んでいるのに足組んだり、肘を張ってふんぞり返って座ってみたり。綺麗なだけにもったいない。
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【コラム】 檸檬の誘惑
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【コラム】 振り売り
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【コラム】 アングラ復活
ここで開かれているGAW展は今年で5回目、約50軒が協力し、60人以上の美術家が参加している。オープニングは秋山祐徳太子のパフォーマンス、福士正一の舞踏、そして路地や店での作品展示が始まった。通りで老婆が文句をいう。路地の作品が地震で倒れたら、孫が被害に合うという妙な難癖で、警官を呼びにいく。ここにも住んでいる人がいた。人が集まると隣のバーのママが、店の前を開けろと声高に叫ぶ。いま再び数百軒がひしめき、かつてはボッタクリの店もあった混沌の路地。ほとんどが十人と入れず、隣の客と話すのが当たり前。その交流が作家との出会いなど、伝説を生んだ。 いま巷で飲みにいくと、同じようなチェーン店、個室風などに右へ習えで個性がない。ちょっと前の言い方では、ハードは整えたがソフトがない。ゴールデン街は、店主と客の交流などのソフト自体が魅力、というかそれしかない。だから店も個性的なら、こういう企画に揃って賛成とはいかない。ゴールデン街というサイトもあるが、公開している店は三分の一ほど。ただ劇場がオープンし、演劇や舞踏、ショーなどの企画もあるらしい。 夏に京都や名古屋に行った。ビル街には東京と同じ店が揃う。東京には地方の名店が進出する。国内どこも同じで、個性がなくなり始める。ゴールデン街復活は、そうした動きへの反動かもしれない。街路にいくつも作品があり、店内の作品も飲まなくて見られるという。イラク、アフガンの復興はまだまだだが、復興した東京のアンダーグラウンドの一つを、この機会に訪ねるのもいいかもしれない。
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