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【コラム】
たちまち
金曜日、東京は大雨だった。季節はずれの強い風に傘が壊れた。だが大劇場のそばでフレンチと洒落込み、酔いとともに外に出ると、激しかった雨風はあがっていた。
翌日、東京の北のはずれの小劇場に赴くと、正面にぽっかりと月が浮かびあがった。満月と見まごうまんまるの月。そういえば前日、友人が十五夜で団子を作るといった。見るとわずかに右が欠けている。なるほどこれが十六夜、いざよいかと思い、いざ酔った。
さらに翌日、同じ道を歩くと少し低く月が輝く。同道した先輩から、立待の月というと聞いた。日没後、立って待つうちにすぐに、たちまち出てくる月。明けた祭日は欠けが目立ってきた。これは居待月というらしい。座って待つ月。次は寝待月。欠けるとともに月の出が遅くなる。そして十六夜からを有明の月と呼ぶ。遅くに出て朝まで浮かぶ月だ。
土、日、月の三連休、東京の空は真っ青だった。雲のかけらもない秋の夕空の下、通った道は康申塚通り。街道からの入口に塚があり、奥には古寺がある。庚申塚は庚申様をまつり、厄よけで六十日に一度の庚申の日に徹夜したという。有明の月とは相性がよさそうだ。
三日通った劇場は、通りから入る辺鄙な場所だが、元ダンスホールで、地元マダムの色恋沙汰の場所だったときく。狭い道にバスが通るが、人通りは少なく、帰り道のほとんどは劇場の客で、車もタクシーがわずかに通るのみ。夜は食堂が数軒と、さびれている。打ち上げは台湾女性の中華屋。女性1人では入れないほどオンボロだが、独特の家庭料理で旨い。十人の店に二十人以上集い、猫を連れて毎日通う老夫婦、将棋を指す男たちなど常連が場所を譲ってくれて、立ち呑みと相成った。暁を見るには至らなかったが。
月を眺める日々は過ぎた。殺人や核報道に目をやらなかったのは、あの強風でテレビアンテナが壊れたためだったことに気づく。そして時間に追われる日常が、たちまちやってきた。(志賀信夫)
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