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【コラム】
日本中からの観光客が溢れる何とかヒルズであろうが、世界中からの観光客が集まる下町であろうが、都内には路線バスの姿をよく見かける。特に都バスは、都内のあちこちを網羅していて、使い慣れてみるとなかなか便利なもので、未知の場所へ行くには、まず路線図やネットでバスの状況を調べてみるし、地下鉄では不便なところもバスならば目の前に乗り付けることもできる。
一番はじめにバスって楽しいかも、と思ったのはどのくらい前になるか定かでないけれど、東京駅の丸の内口から日本橋三越へ秋の展覧会を見に行こうと思った時。東京駅からならJRで神田に出て銀座線で三越前、か同じくらいの所要時間を歩いていく。大した距離ではない。でも、どちらもほんのちょっとめんどうくさい時間と距離と手間である。そして、以前にそのデパートに行った時、その入り口の前に東京駅行きのバス停を見たのを思い出した。
きっと三越前というバス停があるはず、とろくにチェックもしないで、ちょうどバス停にいた日本橋方面を通るらしいバスにさっさと乗ってしまった。バスは呉服橋を経て日本橋へ。ところが三越へ行くんならこの辺で曲がらないと、と思っている私を乗せて、バスはどんどん真っ直ぐに、三越の名は聞かれることなく進んで行く。
このバスは三越へは行かないんだなと気付くものの、何だか夕暮れに沈みつつある街の風景が楽しくて降車ボタンを押さずにいた。もう少し乗ってから、逆向きのバスに乗れば出発点の東京駅に戻れるから、三越に行くのは明日でもいいし。そう思ってぼんやりと窓の外を眺めていた。
○○証券という看板のビルばかりが目に付く日本橋〜兜町、段々と建物は低くなり、アーケードのある普段着の商店街へ、僅かな時間走っただけで、こんなにも風景は変わって行くものだろうか。秋の日はつるべ落としというけれど、5時過ぎに東京駅を出発して、まだ日は落ちきっていないほどの短い時間。なんかいーなー、落ち着くなー、と同時になんて狭いコミュニティで人間は働いているのだろうと。たとえば、子供の頃の夏の日、庭を歩き回る働きアリの姿に、もっと広い世界があるのをアリンコは知らないのかなー、そして、自分には多分もう少し広い世界が将来開けているのだろうなんて漠然と考えていたのを滑稽に思い出すほど、自分も他の人も狭い中でちょこちょこと動き回るアリンコと変わらない社会の大きさしか持っていないんだと物哀しくも楽しい発見をして、秋のトワイライトタイム、センチメンタルな気分に浸っていた。
オフィス街を歩く人ほど小さく見えて、商店街を歩く人の方が大きく見えるなー、ところでここはどこなんだろう。東京駅から乗った人はほとんど降りてしまったようだ。バスの前方の表示を見ると次のバス亭は「永代橋」。ふうん、永代橋かあ…お江戸だなぁなんて思いながら、まだまだぼんやりと車窓を眺めていた。
そして、かの永代橋が目に入った瞬間、私の頭の中には浮世絵で見る江戸の川に架かる橋と今の永代橋の風景がぴったりとシンクロしてしまった。目で見ている永代橋は、遠近に高層マンション群があり、木造の古い住宅もあり、昔ながらの屋形舟と白いクルーザーがまぜこぜに足元にあるなんともエキセントリックな風景ではある。でもそこには古さにも新しさにも傾かない何だか居心地のいい日常がある。
おそらく浮世絵に描かれた頃の永代橋も今の永代橋も時代のエッジの風景であったのだろうと思う。描かれるテクスチャーが変わっても、どうしても墨と和紙で描くのが一番正直に表現できる日本の風景であることには変わりはないように思えた。
徒然なるままに海へ注ぐ川の流れと時の巡りに思いを馳せ、自分が徒然草を書いたような気分に浸っていたが、目の前にこのあとどうすればいいのかという大問題。
逆向きのバスに乗って、ドキドキしながら出発点の東京駅に戻ったころにはすっかり日は落ちている。
そのスリルとも相俟って、すっかりバス好きになってしまった。目下の懸念はいずれ地下鉄13号線が開通すれば、大好きな渋谷〜新宿伊勢丹〜池袋の路線が廃止になってしまうだろうということ。デパート巡り&青山の買い物にすごく便利なんだけど。
(2007/11/05 WADA)
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