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【コラム】
●ある人
日系ブラジル人のことは時折話題になるが、南米各国、各地に日系人がいる。戦前、戦後の
移民政策によって北海道から沖縄まで、日本全国から大量に送り出された。国策で移民会社が
作られ、海外雄飛という言葉によって農家の次男坊、三男坊から大学卒業組まで、「南米で一
旗揚げる」を夢見た時代があった。僕が子どものころも、「ブラジルに行った叔父さん」の話
は、あちこちの家庭で聞かれた。しかし実際は不況や労働力過多のための移住政策で、未開の
大地の開墾、マラリアによる村の消滅など、苦労を強いられ、ドミニカ移民は訴訟にまでなっ
た。ブラジルに移住したが、マラリアを逃れてパラグアイ、アルゼンチンへなど、南米大陸を
移動した人々もいる。しかし彼らの苦労と努力のおかげで、南米での日本人の評判は高まった。
その人に出会ったのは、移住に関する雑誌をやっているときだった。活躍する日系アーティ
ストを探していると、パラグアイ出身でダンスをやっているという。コンテンポラリーダンス
という名前が聞かれ始めるころだった。笑顔で踊る楽しさ、喜びを生き生きと語る人。そんな
彼女の取材は、僕がダンスについて書き始めるきっかけの一つだった。記事のタイトルは「八
十歳まで踊りたい」。舞台を見ると、しっかりした骨格と独特の動きに、ラテンの血と強いパ
ワーを感じた。多くの有名なダンスグループで踊り、振付けたり教えたりとその活動は活発で、
映像に出たり海外で踊ることもあった。妊娠中も踊り、産んですぐ踊る、天性の踊り手という
言葉がふさわしい人だった。
昨日、ちょうど二カ月前に彼女が踊った舞台に僕はいた。舞踏の新人の舞台について話すた
めだった。見違えるほど細くなっていた彼女のことを考えていた。観客にも彼女を知る人は何
人もいて、伝えるとどよめきが起こった。そして黙祷をお願いした。
野和田恵里花さん。あなたの笑顔とあなたの踊りは目に焼きついています。忘れません。
(2007.5.14 志賀信夫)
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