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【コラム】
モノに執着しない質である。大抵のモノはパッパ、パッパと捨ててしまう。「超整理術」「捨てる!」なんていう書名の本を鼻で笑うような片付けっぷりである。
大体、とっておけばよかったと思うモノ、特に実用品は滅多にない。包装紙や買い物した時の紙袋、取っておいたところで使った試しはない。どんなに綺麗にとっておいても、それは買い物すれば(しなくても)無料で貰えるデパートの紙袋でしかなくて、人様に差し上げるものを中身の関連もなく入れるものではない。「エコ」な観点から、再利用を推奨する考えもあるだろうが、端から貰わなければいいのだ。どんなにセンスよくアレンジして包んだって、再利用というのはバレる。贈り主の信条(心情)はどうあれ、「私は再利用か?」と思ってしまう。
もちろん、手元にいつまでも置いておきたいものはきちんと保管して、時々取りだしてはニヤニヤと愛でることは、ある。とっておけばよかったかもと、ちょっとは反省するモノもある。
小学生の時にお気に入りだったモーウ゛色に帽子の模様のTシャツ。帆布にロープを使ったお稽古バックは、アニヤ・ハインドマーチのエコバッグによく似てた。ガチャガチャから出てきたのに、妙に重い指先ほどのモスグリーンのクラシックカー。神坂雪佳が書きそうな図案化されたバラの模様の初めての大人用ハンカチは、転んで膝を擦りむいた時に包帯代わりにしてそれっきり。埴輪の真似だと思ってた赤い木馬のネックレスはスウェーデンのダーラヘスト。馬グッズを集める人にあげてしまった。大人ぶって買ったべっ甲模様のボールペンも請われて友人にあげてしまった。
結構あるような、これだけ、なような。こうして書き連ねてみても、ディテールを詳細に覚えていて、取りだしてただ眺めるだけのものとさほど変わらず頭の中で楽しめるものだ。負け惜しみのつもりはないけれど、覚えているだけで充分なモノでもあるのだと思う。小学生の時のTシャツは、やっぱりどうしても着て歩くわけにはいかない。ハンカチだって、使わずにずっととっておいてたら、モノの命を全うさせられないし、ぼろぼろなるまで使ったのだとしたら、それなりの供養をしてあげたいと思う。これが好きだったのだ、と人に披露できないけれど、いちばん好きだった時の状態で、何かの折りに思い出すのがモノにとっても気楽で、モノと思い出を共有できるような気がする。とお彼岸に思ったりする。
(2007/9/24 WADA)
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