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【コラム】
ブリヂストン美術館の印象派を見たあと、いつもならティールームによるところを日本橋を渡ったのは、゛日本画「今」院展゛が開催中であったため。
「院展」というと私がもっとも敬遠する美術展であるのだけど、見たい数点のために気付かなかったことにする。
カタログも買わず、キャプションもろくに見ず、展覧会の趣旨を理解しない失礼さだが、好きな絵だけを目指して進むのは、私には心地よい見方。
見たかったのは、「水花火」。
川に小舟を浮かべ投網を打つ瞬間を、花火が夜空に広がる様になぞらえたのだろう。
タイトルの勝利。網の目が緻密に描き込まれて、、、でも、これって、、、写真に撮った絵を見ながらでなければ描けないよね?と思ってしまったら、もうダメ。
ロックウェルなんか、それを公言してるけど、私はそれならば元の写真を作品としてほしいと思うので。
この美術展で、魅かれたのは「大和・雪のしじま(後藤純男)」
うっすらと雪化粧した伽藍の静寂を描いている。
なにひとつ言葉もなく、静かであるが、雪に透けてみえる樹木の緑からは、命の営みが眠りから覚める一瞬をとらえているように思う。
ルノアールたちと、私が好む画とは「描きたい気持ち」のありようがまったく違うのだと思う。
私が魅かれるのは、俳句でもひねりたくなる風景や場面で、その通り作者の苦吟の痕が感じられる画。
語り手を置かずとも、物語がすっと心に届くもの。
約束事があるがゆえに、五文字・七文字に限りない数寄を込められる、そういう歌心がある画。
印象派はわからん!好かん!と言わずに、視点が違うことを飲み込んで見ればいいのかもしれない。
その視点に共感できるのは、いつの日か。
会場出口には、さすがデパートで出品作家の画の即売コーナー。
片岡球子は1500万円。ローン可には心魅かれなくもなかったけど。
このすぐ後、片岡球子さんの訃報。
日本画の愛でたき面白さを教えてくれた人。
心からご冥福をお祈りします。
片岡球子さんに聞いてみたかったことがある。
「面構」は、光琳の紅白梅図屏風に通じるのではないかと思っているのだけど。
(2008/2/4 WADA)
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