|
【コラム】
「レインコートくらいは新しいものを」と母が毎年、レインコートだけは新調する。
とあったのは誰のエッセイだったか。色や柄を吟味してささやかな贅沢と流行をレインコートに込める、というような。
レインコートに凝るのは、いろんな服を揃えた上での、かなり余裕のある生活のようにも思えるのだけど。
逆に、和服の世界ではレインコート=雨ゴートというのは、和服で外出をしようと思うなら、真っ先に用意しておくべき実用品となる。水に弱い素材の多い和服では、「降りそうな」だけで雨ゴートを着て外出するくらいの気遣いが必要とされる。
屋外で仕事をする人以外、雨の日だけに着るコートを持っている人は少ないのではないかと思う。それも、ビニールの簡単なものか、災害にも耐えられるような頑丈なもののどちらかで、マッキントッシュの、バーバリーの、いわゆるレインコートとは別のものだろう。
愛用する人がさほどいるとは思えないのに、「レインコート」という言葉は廃れることなく耳にし、目にする。
「衣」の中でも、贅沢な趣味性の高いものというイメージがある。着る機会の少ないものを用意する余裕はなかなか持てない。しかも、やはり「いいもの」でなければダメ。そして、バタバタとした日常には似合わないものでもある。
吉田篤弘の小説を読むと、レインコートは、大事なモチーフとしてよく登場する。準主役という時もある。思い浮かべるのは、「刑事コロンボ」が着てるような薄いベージュの何の飾りもベルトもないようなシンプルなものだ。往々にして防水のとれた役立たずのレインコートなのだけど、それさえあれば、どんな嵐の中でも散歩が楽しめるように思える魅力的なもの。
読むたびに、あぁいいなぁ、レインコート欲しいなぁと思うのだけど、実現には至っていない。
小学生の頃は、レインコートを持っていた。1年生の頃は雨が降れば着せられていたと思うのだけど、子供には脱いだレインコートの始末ができない。
丸めてランドセルに突っ込んで、教科書が濡れるという本末転倒なことになったり、教室のロッカーに放置したり。
歩き方も下手だし、それ自体が軽い素材で風に負ける。レインコートの本来の威力が発揮できずにびしょびしょになっていた。そんなことの繰り返しで、レインコートはジャマなものと刷り込まれているとも言える。
レインコートは、歩く人のためのもので、電車に乗って移動する人間には向かない。
服を風雨から守ってくれるけれど、電車の中ではびしょぬれで回りに迷惑をかけることはわかっている。電車と外と出たり入ったりするたびに着たり脱いだり、脱いだらバサバサと水滴を払ったうえで手に持っているのもジャマにはなるし。傘も持たなきゃいけないし。雨が上がっても着続けるには、通気性が悪くて蒸し暑い(上等のレインコートは通気性もいいらしいけど)。
たまに、駅でスーツの上に着たビニールのレインコートを脱いでいる人を見かけるけど、どうも不便そうだなぁ(というか、あれはしなくない)としか思えない。
と、先週の台風のような風雨のなかで、傘よりレインコート!とコンビニで半透明のビニールのを買おうかとも思ったのだけど、やはり、脱いだときのカサバリを想像すると手が引っ込んでしまう。
それよりも、私の欲しいのは、吉田篤弘の小説に出てくるようなレインコートだしっ。
なによりも、何年もかけて着込んでクタクタにしなければならない。もう買い換えなきゃというところまで年季をいれなければならない。
いいレインコートを手に入れたら、きっと、台風の中をニコニコしながら散歩するだろうと思う。
レインコートがないから、この雨じゃ外に行けない、とウラハラに、レインコートがあるから、ただ散歩したい。
(2008/4/14 WADA)
|