|
【コラム】
音楽を聴くのが好きで、コンサート、ライブによく行くし、家でも何かしらCDをかけている。
ジャンルもいろいろ聴くけれど、ボーカルは好き嫌いが激しい。
ヒットチャートにランクインするようなポップスは、まったく耳に入ってない。
日本の民謡も好んで聴くことは皆無だったけど、田植え歌などの労働歌、祭歌を現場で聴いてからは、歌うべき場で聴くならば、アリだと気付いた。
テレビの民謡ショーなんかは、変わらず却下!であるけれど。
先日、好きなボーカルさんが飛び入りした、とあるライブに行った。
飛び入りゲストだから、全編で歌うわけではないが、主役のジャズトリオも大好きなトリオで、かのボーカル(A)が出演しなくても行く予定ではあったから、とても嬉しいライブになる。
ところが、ライブハウスに行ってみると、もう一人飛び入りのボーカルが出るらしい。
こちらのボーカル(B)は、本当に苦手な人。彼女がメインで歌うならば、どんなに好きなトリオとの共演であっても絶対に行かない!と断言するほど、苦手。
歌唱力がないから、などということよりラディカルなところで苦手な気がする、その理由を考えてみる。
ボーカル(A)と(B)が、マイクをバトンのようにして交替したので、対照的なことがよく見えた。
どちらも、歌う前に歌の背景など紹介した。そういうところは、同じなんだけど。
いちばん違うのが、誰に向かって歌うのか、だと思う。
(A)は、選んだ曲を説明して、トリオに支えられながら、歌の世界観や歌い継がれている心をお客に伝えようと歌っている。
伝えることが第一で自分を演出しようとはしない。
上手いなぁとか、きれいな声だなぁという部分は歌の本質ではない。(上手いし声もいいけどっ)歌に目を耳を向かせる手段であるだけ。
伝えたい・歌いたいことがあって歌が生まれるわけだから。
(B)は、自分に目が向き自分が楽しいだけで満足しているように感じる。
ステージパフォーマンスとしては華やかで、おしゃれな雰囲気を楽しみたいなら、お客さんもそれで満足するけど、歌を聴く気持ちには空々しく映る。あなたが楽しいのはよくわかったから、という感じ。
スタイルありきで歌うのは、スタンダードやフォークロアを歌い継いできた人にも曲にとっても哀しいこと。
せっかく、その技量に恵まれて歌うことを選んだのになぁと残念でもある。
プロを名乗るなら、人の耳に届く技量がなければならないのは必然。
どんなにいい歌を心を込めて歌っても、独りよがりな騒音にもなってしまう。
でも、下手であっても気持ちが伝わる歌い手がいい場面もある。
スタジオで、きらびやかな衣装を着て、田植え歌を歌う民謡歌手より、自分の田んぼで歌いながら力を込める音痴のおじいちゃんのほうが、よっぽどいい歌い手だ。
(2008/5/12 WADA)
|