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【コラム】
雨の季節になると一度やってみたいと思っていることがある。
ある美術館に、庭園というほどの風情でなく、菜園でもなく、鉢植などをただ集めただけの屋上がある。
趣のある室内や庭を見たあとに、期待して屋上に行くとちょっと拍子抜けし、見どころといえば低い町並みが見渡せる眺めのよさくらい。
ここに、枇杷の木がある。
果実めあての手入れされてはいないらしく、食欲をそそる枝振り・実ではないけれど、こっそりもいでかじってみたい。
枇杷というくだものほど、季節を感じるものはない。
夏には西瓜、冬は蜜柑であるが、求めれば紀文でなくとも手に入る昨今。
夕張メロンのご祝儀相場、西瓜の初競りなど、特別なニュースで聞いても、どちらかといえば「もうそんな季節?」と、先取りの季節の流れに、いまひとつピンとこない。
店先に並ぶのだから、栽培農家はあるのだろうし、高級果実店では宝石のように美しく輝く枇杷も見掛ける。
季節はずれな枇杷もあるかもしれないが、それを願うのは、とてつもない野暮なもの。
やはり、枇杷は露地もの。
梅雨のシャワーと初夏の強い日差しを交互に浴びて、元気に育ちましたという葉の濃い緑と実の枇杷色が、梅雨空にも晴天にも映える。
丈夫そうではあるが、じつは傷つきやすく、手に入ったらすぐに食べなければならず、西瓜やメロンよりも、家族揃って皮を剥いてはかぶりついた思い出がある。
剥いたそばから果汁があふれる瑞々しさも初夏の楽しさ。
幼稚園で「枇杷の歌」を習った。
メロディーも歌詞もタイトルも定かではないが、枇杷の葉はロバの耳という部分だけを覚えていて、果物の葉の形をちゃんと見分けられるのは、枇杷だけで、この歌のおかげである。
日本画家の片岡球子が院展に初出品し、初入選したのが「枇杷」という屏風だった。
その後の片岡球子の画風とはまったく異なるのだが、初夏のさわやかさ、雨後のきらめき、
果実の甘い匂いが感じられる大好きな一枚。
(2008/6/23 WADA)
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