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「私って運が悪いから」という友人がいる。旅行でも必ず雨が降るし、それで風邪ひいたりするし、という。
運が悪いから、旅行で雨が降るのではなく、雨が多い時期に旅行するから降るのだということに気付きもせず、すべて「運」の一言で済ませてしまう。
そして、その人は占いが大好き。
誰かが何か言えば、「何座でしょ!」「何型でしょ!」と始まる。
だいたい、星座だの血液型・名前という自分の努力でどうにもできないことを占いの対象にすること自体、私は嫌いだ。
自分でどうにもできないから、占うのかもしれないけど、占いの結果が出たところでどうするつもりなんだろう。
考え方で変えられることや、努力を否定して、悪い結果を抱き続けていればいいのだろうか?
星座だとしたら、12分の1、血液型で4分の1。
地球上の全員の運勢や性格がそれだけの種類しかないならば、なんて簡単な世界なんだろう。
「運が悪い」なんて目の前で言われると「ごめんね。私が生まれてなければ、あなたの運はよかったかもね」と嫌味のひとつも言いたくなったり。
人に運の善し悪しがあるならば、それはその一人のものではないと思う。
人やものを取り巻くすべてのものが巡って作用し合っているのだから、誰かがとても運が悪いとしたら、家族や周りにいる友人のせいと言っているようなもの。
「私が友人でいることも、あなたの運なんだよ」と言ってもピンとこないらしい。
ということを、高校野球を見ていると思う。
誰かの致命的なエラーや凡打。そこで人生のすべてが終わってしまったような泣きそうな顔でベンチに引き上げる。
でも、君だけのエラーじゃないんだよ。甲子園に今いることは、君が生まれてきたからで、君がいなければ、大会屈指の好投手を擁する相手チームだって甲子園まで勝ち上がることはできなかったんだよ。
君のとんでもないエラーがあるから、劇的なサヨナラホームランが出るかもしれない。
最後のバッターになった君が、将来の大打者の礎なんだよ。
直径10センチにも満たない球が、地球上に今いくつ飛んでいるだろう。
その一つだけが君のグローブめがけて飛んでくる。これだけでもすごいことだと思わない?
なんて、炎天下で懸命にがんばる球児には寝言だろうけど。
(2008/8/4 WADA)
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