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●舞台と体と
この日曜日、ライブをやった。マチネとソワレで、それぞれ2人ずつ、踊り手と音楽家をゲストに出てもらった。小さい空間ゆえに満杯。80代、70代という年長の伝説的舞踏家たち、そして若手の踊り手たち。若手の即興音楽家たち。いずれもよかった。といっても、舞台で演奏していると、満足に見られないのが残念なのだが。
小さい公演を企画したのは3度目だが、やはり大変。会場予約交渉、チラシ制作、折り込み、メールやサイトでの広報、出演依頼と連絡、スケジュール、演奏曲目、予約対応、スタッフ集めなどがあり、当日も設営、受付、弁当・資材調達、進行管理、リハ、客入れ、演出、客対応、撤収、打ち上げまで、やることは一杯。観客が合わせて百人に満たないごく小さな舞台でも、それなりにやることがある。それも見よう見まねで、おまけに当日、舞台上なので、そのつどの指示ができない。そして稽古も含めると、かなりの時間を費やしている。
毎日たくさんの公演が行われている。批評を書くために、平均すると毎日以上の数を見ている。それも大半は舞踏やコンテンポラリーダンス。だが、舞踊に限っても、バレエや日本舞踊などを含めると、その数倍はある。それぞれの公演に多くの人々が関わり、さまざまな役割を果している。演劇になるとさらにその何倍、十倍以上はあるだろう。この舞台にかけるエネルギーはすごい。そして、作る側と見る側のエネルギーが舞台を存在させ続けている。
舞台は一過性である。終わったとたん、泡と消える。残るのは記録と記憶。しかしそのために、それゆえに、熱中する。そのなかで確実なものは、体しかない。だからきっと、僕は踊りを見るのだろう。そのなかでも、特に体そのもの、体一つで踊れる舞踏を見続けている。
いよいよ年末、そして、新年を迎えるみなさん。お体を大切に。
来年はどんな舞台が見られるのだろうか。といっても、3日から予定が埋まっている。
(2009/12/28 志賀信夫)
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