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東京の夏は、でぇっ嫌いだけど、江戸の夏は好き。
江戸の夏ったってホントのところは、知っちゃあないけど。
実際の気温や湿度、蒸し暑かったことには大して変わりはないと思うが、エアコンの室外機の熱風とアスファルトの照り返しがないだけでも、今より気分は良かっただろう。
花火、屋形船、朝顔、鬼灯、釣り忍、風鈴。
いくらなんでも、やっぱり真っ昼間はきつい。
陽が落ちて、緩やかに暮れていく時が長く続くようにと惜しみながら、短か夜が明け、露を含んで濡れた朝顔の濃い青を見るまで。
そこまでが江戸の夏の夜。
会社帰りの乗り換えポイントをちょいと変えて、東銀座下車。
歌舞伎座はこの夏で見納め。
義太夫の葵太夫さんを訪ねた時、個室の楽屋前までは潜入できたものの、「男ばっかりでむさ苦しいところですから、外に行きましょう」と外のお店でお茶したことが悔やまれる。
歌舞伎なんだから男ばっかりなんざ百も承知。
むさ苦しくとも、楽屋に行ってみたかったのに。
歌舞伎座を通り過ぎると築地。磯の香りというより干物や乾物の香りに誘われる。
さすがに夕暮れ時はターレーも走ってないし、市場の賑わいはない。
でも、やはり市場はここにあってほしい。豊洲も大して遠くにあるわけではないけれど、築地だって日本橋から移転した市場ではあるけれど、人と土地とのこなれた感じ、干物の香りが染み付くまでの時間も築地の財産である。
伊東忠太パラダイスの築地本願寺を左に見て、通りからは見えない波除神社に気持ちだけ額ずいて、勝鬨橋を渡り、川風にびゅーびゅー吹かれてから、バスに乗る。
いま歩いた道を少し引き返してから右折。
実際に、どのくらい昔からあるのかはわからない、もしかしたら仕舞屋風に新しく建てたのかもしれないけど、下町の風情あふれる二階家と新しい高層マンションが交互に立ち並ぶ道を行く。
鏑木清方の住まいが木挽町にあった。
少年時代、また長じてのことを随筆に、水の滴る風情を書いているが、水路は埋められて今はカラカラ。
聖路加病院を通り過ぎ、かの築地明石町に差しかかるも清方が描く佳人が佇むような風情はない。
それでも、晴海通りからほど近くでありながら、軒先の植木が豊富なのはせめてもの江戸の風景に近いかも。
ああ、そうそう明石橋は別名「寒さ橋」とも言ったそうだ。吹き渡る風が冷たくて、夏でも寒さを感じるほどだったとか。
鉄砲洲稲荷に近づくと、お武家の硬い雰囲気も加わる。
進めば八丁堀。永代橋がちらっと見える。
ビルがなかった頃ならば、いま通り過ぎてきた道々は振り返れば、 晴海通りくらいまでは容易に見通せたのだろうか。
それよりも江戸湾の磯の香りと波の音もきこえたのだろうか。
時代小説に登場する高橋(たかばし)や亀島橋という地名がバス停に残る。
飛び込むには憚られる川だけど、やはり水が身近にあるのは気分がいい。
高橋は、鉄橋にかけ替えられた当時、井上安治が版画にしている。
すっかりオフィス街になっているけれど、このあたりの橋を雨の降る日に下駄で散歩してみたいと思う。
蛇の目をさして。
そして、バスは八重洲に到着。
ここから、家までは電車に乗ってだいぶ時間がかかる。
ひと電車見送ってゆっくり座って午睡としよう。家についたら、ぬるめのお湯に浸かって、お風呂上りに濃い煎茶。
照明はつけず、あえて窓からの風だけで夕涼み。
(2009/7/20 WADA)
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