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この頃、「あとがき」のない本が多くなっているような気がする。
目的もなく、ただ活字にまみれたくて本屋さんに行って、お気に入りの作家のものでも、新しく見つけたものでも、とにかくページを繰るのが楽しみで仕方がない本を買い込み、家で本格的に読む前に喫茶店でひと呼吸おく。
その時、本文は読まずに目次とあとがきをまず愛でるのが、私に限らず本好きの嗜好であると思うのだけど、その楽しみのあとがきがない。小説ならば、目次もないものも多い。
なきゃいけないものでもないし、ないほうがいい本もあったりするけど、でも、あって欲しい。
書きたくもない「良い子の」読書感想文の強い味方でもある「あとがき」。
作家の考え方によって、あとがきで作家の言い分を書くことを潔しとしない人もいるのだろう。
言い分=言い訳みたいで、小説を書き終わってから(読み終わってから)の照れが垣間見えてしまい、興醒めになることもあるし、あとがきがないことで、物語世界にどっぷり浸かっていて欲しいというメッセージでもあるかもしれない。
一方で、あとがきは作家の余裕でもあるかと思う。
雑誌に連載されたものでも、書き下ろしでも、その筆を置いた直後に出版された単行本には、あとがきがないのが多いような。。。
そのような本には、説明不足の部分がややあったり、誤字脱字が多くて、リサイクル書店にすぐに安価で出回るような、まぁ読み捨てる雑誌に近い感覚で出版されたイメージもある。
そういう本が増えると、書籍のデジタル化もやむなし。というか、それでいいよと思ってしまう。
買いにいく手間も時間も、保管する場所も、さらにリサイクル書店に持っていく手間もかけたくないから。
中身には影響がなくても、もくじやあとがきは装丁の一部のようなものだと思う。
そんな中で、つい最近買ったのは「圏外へ」(吉田篤弘著:小学館)。
小説家より、デザイナー、装丁家としてのスタートで書物の世界に入った人だけに、小説の中身も装丁・ブックデザインも楽しみな作家。
中身の活字は目に入れないようにして、装丁、本の姿をまず楽しんで、それから「あとがき」をと最後のほうからページを繰る。
と、そうだった。この人はいつも「あとがき」がないか、「あとがきにかえて」として物語のタクトを置くのだったっけ。と思い直し、でも、もしかして今回は「あとがき」があったりしてと、ドキドキしながら、めくってみる。
この本は、ペーパーバックのようなガサガサの紙で刷られていて、かなりな厚みにもかかわらず、軽い。
等間隔に木目のように黒い筋が天地や小口から見える。数ページ、真っ黒のページが間にあるってことか。
ここに物語の仕掛けもあるのだろう。
やはり、「あとがき」はなく、物語の終わりとおぼしきところから、真っ黒いページが続く。
早く読みたい!でも、読み終わりたくない!と、なんとそそる「あとがき」か。
(2009/9/28 WADA)
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