|
「残り湯」
暑い。最近、家で仕事をすることが多く、暑さが身に染みる。クーラーはあるのだが、30年近く前に買った窓用で、効かない。通勤して仕事をしているときは、歩く間以外は冷房が効いていて、遅い帰宅で寝るだけの毎日では、夏がいつの間にか過ぎていくのだが。やむなく、暑くなると風呂の残り湯をかぶる。寝室にクーラーはないので、ベッドに敷く硬いジェルの入ったシートを購入した。30分程度はかなり涼しいが、目覚めるとやはり暑く、汗びっしょり。すぐに風呂場に直行する。
家にいると、ネット通販も増える。この冷えるシートも、テレビの宣伝を見て、ネットで値段を比較して購入。仕事の資料も、古書検索とアマゾンを活用する。翌日届くものもあり、都内へ1時間以上の身としては、実に便利。プリンターインクも、店よりはるかに安い代替品がある。
そうやって、実に電力を無意識に使っている。ノートパソコン、携帯電話、デジタルカメラ、ICレコーダー、ビデオカメラ、音楽プレイヤーなどの充電器や電池があり、冷蔵庫は冷凍食品に占有されている。電力を使わないものなどごく僅かだ。
アフリカなどの途上国の開発を見ていると、電話網より携帯電話がインフラのコストがかからず、普及し始めているという。太陽光発電や自家発電も含めて、発展とともに電気が広まっていく。僕が生まれたのは戦後10年目。それからの現在までの生活の変化から考えると、発展や文明とは電力の活用とともにあるようにも思える。
有機農法、環境問題などの意識を抱き、晴耕雨読、太陽とともに起き眠る生活をしたとしても、電気の恩恵を甘受せずには生きていけない。節電が温室ガスを削減するといいつつも、新しい製品を生み出し、使用していく限り、電気の使用量は増え続ける。
ただ、この残り湯は、数日すると水道の水より冷たい。それを浴びるとき、そして自然の風で涼むときに、なんともいえない思いを感じるのだ。
(2010/7/26 志賀信夫)
|