Art's Report site/ZAKKAYA PARIS

戸田昭子「雑歌屋パリ」

vol.28

雑歌屋:制作という夢

4月雑歌屋“1789”公演に当たり、雑誌に掲載がありました。オンラインで見られるこの雑誌をペラペラ“めくって“みましたが、短気な私には目的のページまでたどりつけませんでした。オンラインでは「案内」の掲載はなく広告が出てくるだけ。“ページをめくる手を止めて“立ち止まってしまったページは、スタジオのレンタル、防音室の工事紹介・・・そしてウェブチケット案内です。・・・この雑誌が某チケット流通の会社のものと思いこんでいたので、まず単純に驚く。ミュージシャンへのインタビューでウェブチケット取扱いの便利さを紹介した記事でした。

20年前、日本の外で初めて「演奏が仕事になりうる」と知った時に軽いショックを覚えました。新鮮な経験でした。
音楽以外の仕事もしながら“プロとして舞台にたつ“というエネルギーに燃えた人々に出会ったアメリカでのことでした。
同じように軽いショックです。

その後、フランスに来てあっさりプロとなる機会にめぐまれました。フランスの仕事でチケットを売ることはありません。
客が入ろうが入るまいが、出る方は”雇われ歌手“ですから”お仕事”をするだけです。放送合唱団ではサブメンバーであっても、団員のストにつきあわされ、本番はキャンセル、でもギャラは頂きました。

制作がスポンサーを集め、それを予算として運営していく。制作側が宣伝担当で、音楽するのは雇われた音楽家たちなのです。それが基本なのではないかと思います。

クラシック音楽演奏には大人数が必要なため、オーケストラものは基本的に採算があいません。ですから、フランスの
どのグループをとっても必ず上演にあたってスポンサーがつきます。国営オケは単発プログラムですから、ただ一回のコンサートのために2週間の練習を確保します。その間の人件費を、月決めの月給という形で支給するので可能な技です。

フランス中の全ストのときのあるコンサートは客より舞台上の演奏家が多かった。当日無料公開にしても、ストと雪のため客席はガラガラ。こんな理由で制作側では赤字になっていようとも、数か月待っていればギャラは届けられました。歌うだけの立場ですからチケットを目にすることもなく、さびしいな、ですみます。ギャラが届かなければ、事務所にしつこく問い続けるのみです。

立場を変えてみると、ディレクター(=社長)兼シェフ(指揮者の意味)の苦労(結局同じ人のことですが)は、想像しきれません。オランダにはアンドレ・リウという、実業家社長兼音楽家、という、ものすごい見本がいます。

西洋の“仕事“の世界から、私は少しずつ日本の世界へ戻ってきています。これもまた新鮮です。日本の西洋音楽の現状をかいま見るという具合です。

もともと中学生の時から演劇の“自主制作”にあこがれ、大人になってからは“インディーズ”に目を見張りました。
演劇であれダンスであれバンドであれ、結局のところ、“独立している“ところに、独立していることに、引き寄せられるようです。なにかが心にあり、状況は難しくとも”それでもやる”と言うのを感じるとき、強さを感じます。

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